「特異性の原則」というトレーニングの原則があります。
野球がうまくなりたかったら筋トレよりも野球をしろ、と。ものすごくシンプルに言っています。要するにそういうことです。
エアロビクスの養成コースでこの原則を知り、エアロビクスインストラクターになってからもずっと実践していました。
もともと持っていた腰痛が再発したり、肩胛骨が動いていないなどがきっかけでさまざまな先生やエクササイズと出会いました。
この出会いこそが現在の私を作りました。そして、その私が感じていること。「特異性の原則」には前提があるんだな、と。
昨年夏。
田中選手と初めてトレーニングをする前日、軽い気持ちで「リクエストありますか?」とメールしたところ、ものすごく大量のリクエストをもらってビックリした記憶があります。
「肩は脱臼をするクセがある」
「ベンチプレスをやると左肩だけあがってしまう」
「左右の股関節の可動域が違って、左は動きづらい」
「膝の調子が悪い」
・・・こんなにいっぱいあるのに、今までどうしていたの?と不思議に思いました。フィットネスクラブでジムスタッフの経験がある田中選手。経験から得た筋トレはしていたようでしたが、あとは練習のみというある意味、「特異性の原則」を実践していたようでした。
姿勢をみれば、その人のからだの使い方にどんな特徴があるのか、なんとなくですがわかります。田中選手は私が想像していたとおり、自分の得意な部分しか使えないからだでした。
電気のきていない村を工事して、その村のすべての家に電気がつくようにする。例えですが、これが夏から田中選手と取り組んできたことです。田中選手のからだがまだ電気のきていない村だとしたら、私はジャイロトニックという道具をつかって、田中選手の得意な部分だけではなく全身がうまく使えるようにする、その村のすべての家に電気がつくようにすることを目指しています。
「いつ、どんなときでも自然に自在にからだが動く」
当たり前のようで実は意外と難しいのがこれです。特異性の原則はこの前提があってこそ・・・なのかな、最近、改めて感じています。
自分では今のからだがベストだと誰でも思います。ちょっとぐらい肩がこっても、少し猫背だとしてもそれがケガや痛みに結びつかない限りは病気じゃないし、「ま、いいか」と思ってしまいます。でも、その小さな「サイン」を見逃したがゆえにケガという大事件へと発展していくのです。
「ケガはイベントではなくクセや習慣の積み重ねから生まれる」
私の大好きなピラティスの先生・マリジョゼがこんなふうに言っていました。スポーツにあまり縁のないかたでも生活環境や動きのクセから痛みやケガにつながります。スポーツをするかただったらなおさら・・・そう考えれば、なにが必要かということです。
友人のプロスキーヤーみやのゆきこも満身創痍のからだをケアすべく、ピラティスを始め、インストラクターになりました。そして、現在、彼女のスタジオにはスキーヤーのかたたちがこぞってトレーニングにきています。
「いつ、どんなときでも自由に自在にからだが動く」
特異性の原則の前提・・・と書きましたが、こうやってみると気がつきます。実は自由自在な「すなおなからだ」はすべての人に必要だということに。
「社会人になってからの方が上手くなったね」
先日そんな言葉をオーストラリアンフットボールの先輩からかけられました。学生の頃には週4回の練習を行っていましたが、会社勤めを始めてからは土日の練習にしか参加できていません。練習回数が減ってしまったことで、ボールに触れる機会は単純に減ってしまったわけですが、動きがよくなったと感じてもらえたのは一体なぜなのか。学生の頃と何が変わったのでしょうか。
答えは「ジャイロを始めたこと」だと思います。昨年の7月に始めてから半年以上経ちましたが、プレー中に学生の時分には経験したことのない脚の軽さや、身体のパーツのつながりを感じることができています。
一昔前はプレー以外のトレーニングといえば筋トレでした。身体を大きくすればなんでも解決すると思って(笑)。確かに筋トレは効果をすぐに「みること」ができます。
ジャイロは1回2回で効果が出るものではないですが、続けていく中で自分の身体に対して「感じること」がどんどん出てきます。その感じていたことが段々と自然に動作の中に出てきて、動ける身体になっていくのかなと。
ジャイロの効果を伝えるためにも、もっと動けるようになりたいですね。筋トレばかりしている学生には負けませんよ!