しあわせのカタチ
先週土曜日、2週に渡ってのジャイロキネシスプレトレーニングが
終了しました。
参加されたかたたちは医療関係のかたやピラティスを学んでいるかた、
音楽関係のかたなど、さまざまなバックグラウンドをお持ちの7名。
「ジャイロキネシスを好きになってほしい」
「理解してもらえるようにうまく伝えたい」
その思いを伝えようとすればするほど、なんだか空回りしている
気がしたコース初日でした。
「自分に嫌気がさすーっっ!」
「ああもうやだーっっ!うまくできなーい!!」
と口に出したら「あら?」
とってもらくになりました。
で、2日目。
とにかく動く。なにはさておき動く。
そうそう。動き出せば私はいつだって大丈夫なんだということを
思い出しました。参加者のかたも動き出したら楽しそう。
そうです、私たちは「動く物」と書く「動物」。
動くのが大好きなのです。
7人いればからだもそれぞれ違います。
ハンズオンをしたり、動いている姿を見て、
自分がキネシスを始めたときのことを思い出しました。
腰が痛くてつらかったこと。
なかなか覚えられなくてコース中に泣いたこと。
からだがかたくて言われていることが理解できなかったこと。
あの時間があったから、いまがあると思っています。
ときどき思うのは、「私、間違っているのかな?」
結婚して子供を産んでお母さんである仲間を見て、
女性に生まれて「母」という道を通らずにきたことは
もしかして間違っている?とときどきふと考えることが
あります。
でも、プレトレーニングが終わるといつも思うこと。
「これもしあわせのカタチだなあ」と。
間違っているかもしれないけれど、このしあわせのカタチが
私はとても大好きで、私にとても合っているなと思います。
しあわせのカタチはひとそれぞれ。
からだがそれぞれ違うのと一緒なのですね。