感じること
奈良からピラティストレーナー足立みどりさんが
遊びにきています。
きょう、これからkuuにもいらっしゃるので、
みどりさんにプレゼントしたいと思い、
大好きなパン屋さん「KIBIYA」にラスクを買いにいきました。
みどりさん、いつもとても楽しいおみやげをもってきて
くださるので。
KIBIYAはとても小さなパン屋さん。
10人も入ればいっぱいの、とてもかわいいパン屋さんです。
お店のなかもとてもかわいらしくてセンスの良さがうかがえるうえ、
パンのディスプレイがとってもステキ!
ひとつひとつのパンがとてもうれしそうに
「食べて!食べて!」と言っているように見えるのです。
だからついつい買いすぎるゆきぷです。
日曜日のお昼、KIBIYAはとても混んでいました。
お店に入るのを様子をうかがいながら待っているかたも
いらっしゃいました。
そんななか、4人組の女性が店内でパンの写真を撮っていたのが
とても気になりました。
お一人がトレイをもって、お二人がチョイス、そして一人が
写真を撮るという「大所帯」。小さな小さなお店のなかで、
その「大所帯」は、ちょっと困ったちゃんでした。
おいしいパンだし、かわいいお店だし、写真を撮りたい気持ちは
とてもとてもよくわかります。
でも、あのパンたちをみて思うのは「食べたい!」じゃないのかな?
おいしそうだから写真に撮って、果たしてその写真はどうするのかな?と
不思議に思いました。
たとえば、こうやってブログにKIBIYAのことを書いていて、
パンやお店の写真を載せられたら、読んでくださっているかたが
KIBIYAに行ってくださるかもしれないし、おいしさを分かち合えるとも
思います。
でも、ピンときたかたはきっと写真がなくても行ってくださるかなと
思います。
そして、それが「感じる」なのかあ、と。
「おいしい」も「かわいい」もすべては感じること。
この「感じる」をどう感じ、どんなふうに表していくか・・・
そこを磨いていくことがある意味「生きる」でもあると思います。
どんなふうに感じて生きていくのか・・・そう問われたら、
みなさんはどんなふうに考えますか?